蓮如上人(1415~1499年)は、比叡山延暦寺の衆徒により破却された大谷本願寺にかわり、1471(文明3)年、越前吉崎に教化の拠点を定め坊舎を建立されました。それが今日の吉崎別院の濫觴であります。その後、1475年まで、吉崎別院に滞在され、その間、お同行に対し「御文(おふみ)」により教化を行われました。
上人没後、吉崎では北陸教化の御苦労とその徳を偲ぶ法要が吉崎で行われることとなりました。
蓮如上人御影道中の由来は、1752(宝暦2)年の蓮如上人御忌法要に、上人の御影を本山本願寺より、お迎えして勤められたのが、始まりであると伝えられています。
以来、毎年、吉崎別院で蓮如上人御遠忌法要が厳修される時期に、上人が歩いたといわれる吉崎別院までの約240キロの道程を、随行教導や、宰領をはじめとする供奉人方が、会所に立ち寄りながら一週間かけて歩き(御下向:4月17日~23日)、上人の御影を門信徒の待ち受ける吉崎の地へ運ぶ旅が連綿として続けられています。吉崎別院では、御影をお迎えした後蓮如上人御忌法要(4月23日~5月2日)を10日間にわたって厳修し、多くの方が参詣されます。吉崎別院における法要後、真宗本廟に向け、帰路約280キロの道程の御影道中の旅が始まり(御上洛:5月2日~9日)、真宗本廟における御帰山式をもって御影堂中は終了します。